「知る」の当たり前を変革する、Baseconnectという挑戦
Baseconnect株式会社 代表取締役 國重侑輝 氏

プロフィール

Baseconnect株式会社 
代表取締役 國重 侑輝 

1990年生まれ。大阪府出身。立命館大学国際関係学部在学中にインターネットスタートアップの株式会社Campusを創業。10以上の事業を立ち上げ、月間ユーザー数400万人を達成する。2017年に「世界中のデータを繋げることで、ダイレクトに必要な情報にアクセスできる世界を作る」ことを目指し、Baseconnect株式会社を創業。法人営業を支援するクラウド型企業情報データベース「Musubu」の利用社数は7万6,000社を超える(2021年9月現在)。

Baseconnect株式会社

法人営業を支援するクラウド型企業情報データベース「Musubu」などの事業を展開するBaseconnect株式会社の國重代表に、Baseconnect創業の経緯、今後のビジョンなどを語っていただきました。

目次

自分の価値観に影響を与えたマレーシアでの体験

岩崎 國重さんはどんなことを考えながら、学生時代を過ごされていたのでしょうか。

國重 僕は子供の頃からこの世に生まれたのであれば、何者かでありたい、世の中に何か爪痕を残すような生き方をしたいと考えていました。漠然とですが、自分がいたからこそ世の中の何かが変わった、何かが良くなったというような人の記憶に残るようなことがしたいという気持ちががあったんです。

何者かになりたいという思いと、負けず嫌いな性格もあって中学時代は勉強を始め、様々ことに力を注ぎました。しかし、高校に入学すると自分より勉強ができる人はたくさんいて、なかなか思うような結果が出せずに苦しみました。そんな中、NPOが運営するマレーシアのボルネオ島でのプログラムがあることを知り、この状況を少しでも変えたくて、逃げるようにしてマレーシアに行ったんです。

そのときの経験は今振り返ると自分の価値観に変化を与えた出来事の1つだと思います。実際にマレーシアへ足を運ぶ前に抱いていた発展途上国の人々に対するイメージと、実際に暮らしている人々の印象は大きく異なっていました。色々なことに捉われていた自分の表情と比べて、生き生きと幸せそうに暮らしている人々の表情にはっとさせられたんです。

岩崎 マレーシアでどのようなことを感じられたのでしょうか。

國重 自らの基準ではなく、世間の基準で考える人は多いと思うのですが、マレーシアに行く前の僕はそのジレンマに苦しんでいたように思います。自分の内面に秘める生き方と、外から求められる生き方にギャップがあり、無理に合わせようとして苦痛を感じていました。

しかし、マレーシアに足を運んで、そこで暮らす人々の表情を見て、世の中で成功とされるレールに乗ることが人生ではないのだと大きな気付きを得られました。それまでは成功とされるレールから逸れれば逸れるほどダメだと思っていましたが、世の中にはたくさんの生き方があり、幸せの形は人の数だけある。「自分らしく生きる」という当たり前のことに、立ち返ることが出来たように思います。

「自分らしさ」とは自分と向き合いながら少しずつ解像度を上げていくものだと思いますが「自らを基準に、自分のために生きていいんだ」ということに気付けたことは大きかったです。結果的に日本に戻ってから勉強をしなくなったのですが(笑)、自身がチャレンジしたいと思うことに素直に向き合うようになりました。

葛藤に苦しんだ大学生時代

岩崎 大学に入ってからの心境の変化を聞かせてください。

國重 自分と向き合うにしても、当たり前ですが、高校生の時はそもそも世の中にどんな選択肢があるのかが見えていませんでした。そのため、大学は視野を広げるため国際系の学部に進学したんです。

大学入学前にカナダに留学していたのですが、海外の大学生は高校以上に勉強しているのを見て、自分も大学ではもう1度勉強に力を注ごうと思っていました。しかし、いざ入学してみると、周囲の人と勉強に対する感覚のギャップが大きくて驚いたことを覚えています。

また、奨学金を受けてアルバイトをしながら学費を払っていたのですが、1コマあたりの授業料を計算したときに、授業を受けるより、実際に海外に足を運んだり、読書することに時間を使いたいと考えるようになりました。19、20歳のまだまだ成長できる貴重な時間を出来る限り有意義なものにするために、自分が頑張れる道を模索していたんです。そして、再びNPOを通じて海外に行きました。しかし、英語が少ししゃべれる程度で、結局誰かの役に立てるようなことを何もできないんだという現実を突きつけられたんです。

そんな中、何か人々の役に立てるスキルを得たいと思い、複数のスタートアップ企業でインターンとして働き始めました。当時は誰かの役に立てるのであればどんどん挑戦したいと思っていたので、職種に拘りなく、営業、プログラミングなど自分のできそうなことは何でもやっていました。

民間企業で働く経験を通じて、少しずつスキルが身に付いたのですが、それ以上の大きな発見がありました。民間企業で、人々の役に立つサービスをつくり、納税をし、経済を回していくことが、社会貢献に1番繋がるのではと思えるようになったんです。例えば会社を大きくして利益を出し、たくさんの雇用を生み出すことが出来れば、それも社会貢献の1つの形だと感じました。

学生起業を通じて見えた景色

岩崎 学生起業に至った経緯を聞かせてください。

國重 インターンで働いた後、フリーランスとして自分1人で起業しました。これまで得たスキルを土台に、Web制作など受託で仕事を始めたんです。当時、仕事は順調だったのですが、僕が飽き性な性格でもあり、1社1社違うとはいえ30~40案件ほどWeb制作を担当した頃に飽きが生まれていました。

そして何かビジネスは出来ないかと考えるようになり、株式会社Campusを設立したんです。まずは自分の身の周りの人達の役に立つようなサービスを提供したいと思い、複数の事業を立ち上げました。例えば、教科書買取サイト、インターン学生のマッチングサイト、経営者のインタビューサイト、美男美女学生のスナップサイト、学生向けのプログラミングスクールなど、数えると30以上あります。

当時は同志社大学の近くの今出川のオフィスを借りて、学生インターンを200人くらい集めた組織でした。サークルのような組織で、事業がうまくいったら皆で山分けするような感じでしたが、本当に楽しくて、この頃が自分の原点と言ってもいいかもしれません。

徹夜も当たり前で、お腹が空いたらパスタを茹でてみんなで食べながら朝までサービス開発にまた没頭するような毎日でした。上手くいかないことも多かったのですが、自分の手でWebサービスやプロダクトを作り、それが人々に喜んで貰える、世の中に受け入れられる瞬間が楽しくて気が付けば5、6年続けていました。

今でもそうですが、0→1は本当に好きですね。ただ0→1で30回以上事業を立ち上げていたのは、0→1が楽しかったことも勿論あるのですが、これだと思える事業がなかったというのも本音です。

事業を立ち上げた時に、毎回、自分に「お前はこれを一生かけてやりたいのか」と問いかけるのですが、答えはすべて「No」でした。この頃は、ビジョンも含めて自分の時間を一生かけても良いと腑に落ちる価値ある事業は何なのか、そんな自問自答を繰り返す毎日だったように思います。

Baseconnect設立の経緯

岩崎 そこからBaseconnectを立ち上げるまでの経緯を聞かせてください。

國重 軸としては10年20年人生をかけられるものがないか、そして流行りに乗っているような事業ではないかということを大切にしていました。時流の波に乗るような事業であれば、資金調達もしやすいでしょうし、僕でなくとも誰かがやるかと思います。僕が人生をかけたいと思え、本質的なものは何か?をずっと自問自答を重ねていました。そこで出てきた1つのアイデアがBaseconnectです。

「知る、記憶する」ことに非常に興味がありました。自分は記憶力が悪く、1日の半分はGoogleで検索していたりするくらい、情報を仕入れたりアクセスするのにも時間がかかったりしているんですね。ここには深い課題があるなと感じたんです。

GoogleやYouTubeなどで世の中、便利になってきていますが「本質的に便利になっているのかな?」と考えるようになりました。Googleで検索をしたり、まとめサイトなどで調べたりすることが、雑誌を買っていた時代から何か本質的に変わったのだろうかと。正しく物事を理解しようと思ったら、信頼性の低い記事や動画より、専門家が書いた本や、監修が入ったTV番組で学んだ方が当然良いですからね。

「知る、記憶する」という分野で勝負するのは非常に本質的で、これは人生をかける価値があるなと思い、この分野に絞ることにしました。この事業の競合はGoogleですからね。Googleはなかなか勝てない相手じゃないですか。

岩崎 「知る、記憶する」という領域に課題意識をもったことにはどんなきっかけがあったのでしょうか。

國重 僕は昔から幾つも事業アイデアを立てていましたが、その事業アイデアの種として自分が不便だと思うことをひたすらメモをするようにしているんです。そのメモを振り返ってみても、例えば今日は検索に5時間使ってしまった、間違った情報で意思決定をして大失敗してしまった、なぜこんな変なBlogを信じてしまったんだ、など「知る、記憶する」といった課題は数え出すときりがありませんでした。ITの世界で働いている自分ですらこんなにも苦労しているのに、世の中にはもっと多くの人が検索で困っているだろうと感じるようになったんです。

また、それは営業の現場でも「知る、検索する」ことに関する問題が起こっているように思います。学生時代のインターンで、求人媒体の新規営業をしていたのですが、他媒体の掲載企業などリストアップする企業は他の営業と大概重なってしまいます。他の営業と重複しないような軸、例えば「大阪市 クリーニング 3店舗以上」など検索しながら進めていたのですが、1社探すのに20分くらいかかってしまいました。

僕は、世の中は、一見便利になったように見えることに落とし穴があると思っています。たくさんの情報が溢れるようになり、検索ツールも増えたことで、便利になったように見えるものの、ターゲットがずれた的を得ない広告など、非効率なことも多いですし、信頼性に欠ける記事や動画などが溢れただけで、結果的に情報の質が下がってきているのではないかと感じます。

もっと世の中は効率的であれば良いと思いますし、調べるにしても専門書や雑誌、信頼できる人から情報を得る方が良いと思います。そんな自分自身が困っていた経験や、便利になったように見えるものの負が多いと感じる、この「知る、記憶する」領域でやっていこうと決めました。そしてその解決手段になる世の中の知恵が詰まった「知恵のエンジン」を作りたいという思いで、Baseconnectをスタートしたんです。

Baseconnectが目指す未来

岩崎 「知恵のエンジン」とは具体的にどんなイメージをされているのでしょうか。

國重 世の中に散らばっていた、断絶されていた情報にアクセスすることができるようになったのがGoogleやYahoo!など検索エンジンの台頭になります。ただ検索エンジンはあくまで目次を作っている役割であり、情報が整理されているわけではなく、知恵がまとめられているわけではありません。自分達は本当の意味で情報を整理し、そしてその情報の保存の在り方そのものを変えたいと思っています。

飲食店を探すときには、みんな飲食店検索サイトで検索するのが当たり前で、個々の飲食店を探さないですよね。これは飲食店だけでなく、ホテルも不動産もそうだと思います。ただ企業を検索する時だけは検索エンジンで企業サイトを1つ1つを検索しないといけない状態にあるんです。

世の中、正しい検索の在り方ができているのは本当に1部しかありません。僕はこれを「構造化検索」と言っているのですが、構造的に検索でき、かつ情報が網羅的に揃っている、そんな世界を実現したいと思っています。

「自分らしさ」を大切にした挑戦を

岩崎 このような発想の事業アイディアは当初、なかなか理解されないなど苦労されたりしたのではないでしょうか。

國重 Baseconnectは32回目の事業立ち上げなので、自分の中では順調に進められているようには思っています。ただ正直、僕が考えている事業構想は、Baseconnectに関わる全員が、本質的な部分まで理解できるものではないと思います。

検索エンジンの在り方を変えるという誰も成し得たことのない挑戦ですし、理解しきれないことが自然な様に思います。ただ何か世の中に大きなインパクトを与える、世の中のスタンダードを変える挑戦をしている、この可能性に皆さんがついてきてくださっていると思っていますし、それはすごく大切なことだと考えています。

岩崎 最後に今後の展望をお伺いしてよろしいでしょうか。

國重  今はまだまだ営業リストとなる企業情報を調べる程度で、自分達が目指す「知恵のエンジン」「知る、記憶する」の新しいスタンダードには遠くやりたいことの1%も出来ていないというのが本音です。

僕は本当に、この目指す世界を形にしたいと思っていて、その実現が叶うなら自分が代表であり続けることに拘りも持っていなかったりします。会社の変化スピードは時として1人の人間の成長スピードを遥かに越えてくる瞬間があると思うんですね。自分が適応出来るのであれば適応してきたいと思っていますが、究極、自分よりも目指すビジョンを形にできる人がいるのであれば、そこで役割分担をすることも選択肢の1つかと思います。

5年後、10年後に世の中がどうなっているかは分からないですが、やはり自分らしくいたいですね。勿論、IPOを目指すにあたって社会的責任を果たすことは必要になるでしょうし、自分達も変わらなければならないとは思っています。

ただ、世の中の考え方など受け止めなくてはならないことはあるかと思いますが、それに惑わされ過ぎず、潰されないように、自分達は世の中に何を残したいのかという、自分達の会社らしさは大切にしていきたいです。

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