京都から地域社会を灯す存在へ
株式会社ランプ 代表取締役CEO 河野匠 氏


プロフィール

株式会社ランプ
代表取締役CEO 河野匠

1992年生まれ、滋賀県出身。大学在学中にアパレルEC事業にて起業し、株式会社ランプを創業。2020年に飲食・小売店向けDX支援プロダクト「テイクイーツ」をリリースし、これまで累計15,000社以上への導入を実現。2022年にはANRI社、ココナラスキルパートナーズ社、三井住友海上キャピタル社、GLOBIS社など複数の投資家より1億円超の資金調達の上、更なる躍進を目指す。

株式会社ランプ

飲食・小売店向けDX支援プロダクト「テイクイーツ」を展開する株式会社ランプの河野氏に、起業の経緯、今後のビジョンなどを語っていただきました。

目次

初めての起業で体験した成功と挫折

岩崎 どのような学生時代を送っていたのでしょうか。

河野 高校までは野球に打ち込んでいましたが芽が出ず、大学ではアルバイトに明け暮れる日々でした。ただ、アルバイトは時給だから稼げる金額にも上限が生じてしまいます。別の方法で稼ぐことはできないだろうかと思案する中で、自分で事業ができないだろうかと考えるようになったんです。大学生で事業をやろうというのは少数派だと思うんですが、僕の場合は父が自営業者だった影響もあり、自分で事業を興すということが選択肢に挙がりやすかったのだと思います。

自分で事業を興す可能性を模索していた19歳の頃、たまたま為替がビジネスに与える影響について学ぶ機会があったのですが、その時に「為替の影響で海外ブランドの商品を安く仕入れ、日本で売れば商売になるのでは」と仮説を立てました。。思い立ってすぐにニューヨークへ行き、当時流行だったアメリカの限定品などを大量に買いつけ、日本に帰国して周囲の友人に販売しましたが大好評だったんですね。

ネットにも販路を拡大していきたいと思うようになり、独学でプログラミングを勉強して、一から自分でECサイトを立ち上げて販売する形に移行していきました。想定していた通りECサイトの反響は良く、多くのお客さんに購入頂き、学生にしてはそれなりの収入を得られるようになり、順調に事業は推移していきました。

ただ、そんな生活も長くは続かず、円安の影響で仕入れ値が上がってしまい、同じ事業を継続する形では利益を得ることが難しくなってしまったんです。「この状況はまずい」と危機感を覚え、21歳の時にホームページ制作の受託事業を始めることにしました。自分で一歩踏み出して起業したことを通じて自分の世界が広がり、漠然とではあるものの、個人事業主としてではなく、会社を創業し、大きな挑戦をしたいという思いが芽生えるようになったんです。

そして大学在学中に同じ大学に通学していた友人3人に声をかけ、法人としてホームページ制作会社を起業しました。ただ自分も含めて勉強しながら制作案件を行っていた中、お客様に迷惑をかけることも多く、安定した収益が得られず、オフィスの賃料も払えない、融資も受けられないなど、1年ほど苦しい状態が続いていました。

そんな中、就職活動の時期に差し掛かり、友人は就職を選択し、それぞれの道へ歩み始めることとなり、結局チームは解散。止む無く案件は全て自分1人で抱え、お客様に迷惑のかからない状態にまで仕事を一通り終えたタイミングで会社を閉じました。今思い返しても、あの頃は本当に大変な毎日だったように思います。

受託事業からなかなか脱却できない葛藤

岩崎 現在の株式会社ランプはどのような想いをもって創業されたのでしょうか。

河野 会社を一度、閉じたものの僕自身はまだまだ野心もあった中、あらためて起業し、2017年に現在の株式会社ランプを立ち上げました。弊社では「デジタルで地域社会を灯す。」をビジョンに事業を展開しているのですが、初めて法人設立をしたときから大切にしていることは変わっていません。僕は滋賀で生まれ育ち、地方への想いが強く、地域社会を支える事業をしたい想いから、地域の事業者を“灯す”ために必要な「ランプ」を会社名にし、再度スタートすることにしました。

当時の仕事は変わらずホームページの受託制作がメインでしたが、地元京都をはじめとした地方の法人のお客様を中心に色々な案件に携わらせて頂きました。実績が増えるごとに単価も上げることができ、比較的順調に事業を運ぶことができたように思いますが、一方で「受託事業がやりたくて起業したわけではないのに、このままでいいのか」という葛藤を抱えていました。

受託事業をするために会社を興したわけではなく、何か社会に必要な事業を形にしたいと思い、何か自社サービスを生み出し、芽が出たらフルフォーカスしたいと考え、受託と併行しながら他の事業も複数リリースしていきました。ただそうしてリリースした他の事業は初動が悪く、テコ入れをしてもあまり期待ができない状況であったため、受託事業に優先するしかなかったというのが当時の現実だったように思います。

コロナ禍で自身が触れた課題から生まれた「テイクイーツ」

岩崎 そのような中、現在、展開されている「テイクイーツ」が誕生した経緯を教えてください。

河野 「テイクイーツ」は、2020年に新型コロナウイルスの感染が拡大したことをきっかけに誕生しました。コロナ禍により、僕の会社の事業にも少なからず影響があり、改めて今後の事業について考えるようになりました。当時は外食を控えなければならない状況の下、テイクアウトを利用する機会が増えたのですが、電話をしないとテイクアウトできなかったり、予約をしたのに待たなければならなかったりするなど、不便なことにたくさん直面したのを覚えています。そんな不便を強いられるシーンが続き、「この不便さは解決すべき課題なのでは」と感じたんです。

「テイクイーツ」はまさにここから着想を得ました。プロダクトをCTOの鈴木と2人で完成させ、着想を得てから2か月後にはサービスをリリースしていました。当時、コロナ禍は数か月程度でおさまるのではと思っていたこともあり、とにかくスピード重視でリリースにこぎつけたのを覚えています。どこよりも早くプレスリリースしたことが良かったようで、リリース後の初動はこれまでのものと違いお問い合わせが殺到し、その後も継続的に導入を頂いています。

岩崎 「テイクイーツ」の導入が広がる中、どのようなことを感じていますか。

河野 やはり、「テイクイーツ」を使ってくださるお店をお見かけすると嬉しいですね。出かけた先で思いがけず「テイクイーツ」の文字を見かけることもそうですが、商品を受け取るための受取専用窓口などを見かけた際には、お店のオペレーションをはじめとした在り方にまで影響を与えられる事業ができていることに、とても嬉しい気持ちを感じています。今では地域に根付いたお店から全国展開する有名店まで広く導入して頂き、多くの事業者様、お店を利用されるお客様に貢献できている実感が持てていますね。

今振り返ると、コロナ禍に陥り、一時はピンチかと思われたものの、弊社にとっては「テイクイーツ」の着想に繋がる思いがけないチャンスの時期となりました。初動の良さ、売上などさまざまな点を加味した上で、「これはいける」と確信を持ち、これまでの受託事業は売却し、「テイクイーツ」事業に集中した会社経営に移行しています。この事業はある程度軌道に乗ってきている段階ではありつつも、お客様に向き合えば向き合うほどプロダクトが良くなる手応えがあり、まだまだ大きな事業に成長していく可能性を感じています。

京都から地域社会を灯す存在へ

岩崎 京都で事業を展開する意義、大切にされていることなどをお聞かせください。

河野 地方のスタートアップが東京に本社機能を移すという展開がよくあるかと思いますが、弊社は今後も京都を起点に事業を展開していきたいと考えています。ワークスタイルの変化にともない、資金調達交渉、お客様との商談などZoomで完結できる機会が増えました。そのような状況下において、東京と地方での有利不利といった格差はほとんどなく、京都を離れる理由がないと考えています。寧ろ地域社会を灯す存在を目指す上では、地域社会の課題に触れられる場所に身を置くことに大きな意味があると考えています。

また、関西には多くの優秀なビジネスパーソン、学生の方がいるものの、東京と比較した際に採用競合が少なく、優秀な方との出会いの機会が持ちやすいということも京都で事業を展開する魅力と考えています。何より地元関西、あるいは地方に由縁のある方で地域社会に課題を感じている方と一緒に事業を成長させていけたら嬉しいですね。

岩崎 今後の事業展望についてお聞かせください。

河野 「デジタルで地域社会を灯す。」というビジョンはきっと未来も変わっていないと思います。現在は「食」×「DX」の領域で事業を展開していますが、この事業での経験を活かし、将来的にはまた違った事業を展開できそうだなとも感じています。

例えば都心部より高齢化社会の進む地方では、小売、飲食業界などの人手不足はすでに深刻な課題として問題となっており、その他にも地方ゆえに着手しなければならない問題は山積しています。地域社会を灯す存在でありたい弊社だからこそ、そのような地方の課題解決を実現できる事業を形にし、これからの日本を変えていく挑戦を続けていきたいですね。

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