自分たちにしかできない“攻め”の不動産再生を
株式会社 K-FIRST 代表取締役 田中 健司 氏

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プロフィール

株式会社 K-FIRST 代表取締役
田中 健司(たなか けんじ)

1987年生。学生時代に自身の就職活動の際に今の日本の採用過程に課題を感じ、新卒採用の支援会社を起業。その後、25歳の時に家業である不動産会社を引き継いだ際にオフィスビルなどの商業ビル専門の管理会社がないことに疑問を感じ、商業ビルに特化した管理会社である株式会社K-FIRST を2013年に設立。「社会から見放されている不動産を社会から求められる不動産へ」というビジョンのもと、ただ単にリノベーションの提案だけでなく、数値に基づいた投資分析をセットで提案することにより「効果の見える化」を行い、多くの築古ビルの再生案件を手掛ける。著書は『不動産経営の思考力 時代は「投資」から「経営」へ(幻冬舎)』など。

株式会社K-FIRST

関西を中心に不動産再生事業「RE:ZONE(リゾーン)」を展開する株式会社K-FIRST 代表取締役の田中代表に、事業承継当時の苦難、「RE:ZONE」事業誕生の背景、今後のビジョンなどを語っていただきました。

目次

サッカーに明け暮れた学生時代

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岩崎 田中さんの幼少期、学生時代のお話をお聞かせください。

田中 学生時代はサッカー少年でした。小学校3年生からのめり込んでおり、高校時代もずっとサッカーをしていました。中学生の頃からずっとプロになりたいと思っていましたが、自分は体つきも良くなかったですし、やはりもっと努力しないといけないなと。自分を追い込む意味も込めて厳しい監督のところで指導を受けたいと思い、高校時代はクラブチームに入りました。

プロの道はやはり厳しく、僕は世界でもトッププレーヤーの本田圭介や岡崎慎司と世代が一緒で、その人たちとマッチアップしたときに「やっぱりプロになる人とは違うな」と感じました。存在感もそうですが、足音一つとってもオーラがあり、かなり距離がある所からでも、「あっ、これはボールを取られる」と感じることもありました。

本物と比べると自分は違うなと思いながらもやってましたが、自分にはサッカーしかありませんでしたので、諦めがつかず、18歳の高校卒業の時にプロテスト受けて、駄目だったら辞めようと決意しました。結局テストは駄目だったのですが、それでもまだ諦められず、当時サッカーの強かった大学に進学し、再びサッカー部の門を叩きました。ですが、練習に参加したときに、もうサッカー選手になりたい想いは燃え尽きている自分に気づき、結果的にすぐ辞めてしまいました。そこから1年間ぐらい、燃え尽き症候群みたいな感じになっていましたね。

岩崎 プロサッカー選手の道を諦めてからは、どのようなことを考えていたのですか。

田中 実家が不動産業をやっていたのですが、子どもの頃から父に強制的に会社を継ぎなさいとは言われてはきませんでした。ただ祖母には将来会社を継ぐんだから経営者としてちゃんとした人間になりなさいと言われていたので、漠然と将来後継ぎとしての人生を考えていました。ただ僕自身もプロサッカー選手になりたかったこともあり、家業のことは気にしていなかったのですが、夢がなくなった時に自分と本当に長い時間向き合ってきました。そこで考えに至ったのは「自分の生まれてきた使命」です。

僕は人はそれぞれ使命があると思っていて、僕にとって使命の一つは会社を継いで、守っていくことじゃないかと思うようになりました。家業を継ぎなさいと一言も言わなかった父でしたが、「会社を継ごうと思う」と話した時には、今までみたこともないような嬉しそうな顔をしたのを強く覚えています。言葉に出しては言わなかったのですが、継いで欲しかったんだなと改めて感じ、自分も覚悟を決めたのを覚えています。

サッカーから切り替えて人生を過ごそうと考えたのが20歳前の頃で、この頃から宅建を取得するなど将来に向けた勉強などを始めました。そして新卒では会社員として銀行、不動産関係など家業に繋がりそうな業界で学び、家業に戻ろうと就職活動をしていました。

事業承継を見据えた中で選択した起業

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岩崎 事業承継を見据えた就活になるかと思いますが、当時はどのようなことを考えていたのでしょうか。

田中 当時、就職活動のときに出会った1人に、とても意識の高い起業家志望の学生がいたんです。たまたまその方に、経営者の集まる場に連れて行って貰う機会がありました。30代の起業家の方々がいらして、自分達の手で世の中を変えるぞというそれぞれの夢を僕達学生に語ってくださいました。自分と10歳ほどしか変わらないのに、すごく格好いい生き方をされている方がいらっしゃるんだと感じたのと同時に、僕自身もこんな魅力的な経営者になりたいと思うようになりました。

この時の体験がきっかけで、学生起業を目指すことにしました。この時には家業を継ぐことは決めていたのですが、家業を継ぐことを見据えて経験値を積む為にこの先の10年間をどう使うか考えた時に、銀行員、不動産会社で過ごす時間よりも、当時刺激を受けたベンチャー経営者の方の様な生き方に、自分自身足を踏み入れることが、最も意義のある時間になると感じたためです。父には「30歳から必ず死ぬ気で会社を守るので、それまでは自分のやりたいことをやらせて欲しい」と話し、起業に至りました。当時はビジネスパートナーとなる方と組み、共同創業で会社を始めました。僕は家業を将来継ぐことも話していたので、実質的にはNo.2の様な立ち位置でした。

岩崎 起業当初はどんなことをされていたんですか

田中 起業した事業は学生向けの就職支援事業(新卒紹介)だったのですが、当時は知名度も実力も何もなく、あるのは熱い思いだけでした。無力感に苛まれながらも、1年間ぐらいはほぼ無給で一心不乱に働き、夜中から朝にかけて資料作りをしたりと大変でしたが、充実はしていました。

会社を始めて10ヶ月ぐらいの時に、50万円ほどの案件を頂き、10万円ずつ2人で分けたんですよ。今でもその10万円の内3万円は残しているのですが、僕にとっては一生忘れることのできないお金です。仕事の対価としてお金を頂くことはこんなにも大変なことなんだと、当時は涙したのを覚えています。例えばお年玉を貰う様なものと全然違い、この10万円の価値は本当に重く感じられ、お金を稼ぐことへの考え方が変わりました。それ以外にも、この10ヶ月で色んな事への感謝の気持ちが芽生えるようになったなと感じました。それから会社が軌道に乗ってきて、当初の新卒紹介から合同説明会に形に変えて、商工会と組むなど事業の安定化を進めました。色んな社長に支援を頂きながら、事業を拡大させて、さあこれからという25歳のときに親が体調を崩し、家業に戻ってきて欲しいという連絡がありました。

元々家業を継ぐのは30歳との約束だったのですが、色々な事が重なり、両親ともに精神的に参ってしまっている状態でした。自分がここで家業を助けないと一生後悔すると思い、継ぐことにしました。

“家業を継ぐ”難しさに直面

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岩崎 そこからご家業に戻られた時のお話をお聞かせください。

田中 僕も起業家としての経験はありましたが、家業を継いで感じたことは、「生み出す苦しみ」と「継ぐ苦しみ」を比べたときに、精神的には後者の方がきついということでした。家業を継ぐことを羨ましく思われたりもするのですが、例えば自分が作ったお金ではないので、勝負するという意味で簡単に投資に使うことが出来ず、会社を守ることに対してしか使えないんですよね。勝手にこのお金を使っていいものかと。

家業を継いで一番苦しかったのは、社員との関係でした。当時社員が4人ぐらいで、僕は最初専務の立場で入社したのですが、不動産の実務経験はありませんでしたので、社員からすると「不動産経験のない奴が何様やねん」みたいな話じゃないですか。そして僕も起業家としてのプライドもありましたし、また昔ながらの不動産所有会社だった家業に対して「時代遅れなことをやってるな」という気持ちも少なからずあったことが、多分社員にも伝わってたんですよね。そこで見えない軋轢みたいなものができて、うまく行かず悩んでいました。

岩崎 後継ぎならではの悩みかと思いますが、当時どのように「継ぐ苦しみ」を乗り越えられたのですか?

田中 そんな中、経営者の先輩にご相談させて貰った際に「人を信頼との信頼関係を築くときに大事なことは、自分は起業家だとかではなく、何事にも誠実さであり、それが信頼に繋がる」とアドバイスをいただきました。その時に家業でできる誠実な対応って何だろうと考えました。

とてもシンプルなんですが、まず誰よりも早く会社に行って、一番遅くまで働く。後は人が嫌がる仕事をとにかく自分でやろうと決め、実行しました。それを1年ぐらい続けてき、だんだんと信頼を得るようになっていきました。僕は自分が経営に入った当初から、いきなり新しい人を入れて自分の会社にしようという気持ちはなく、今まであったものを大事にした上で経営をしたいという思いがずっとありました。僕が自分の会社にしようとしてしまうと、これまで築いた全てが崩れてしまう。そうしない為にも昔からいる社員を尊重することがすごく大事だと、この信頼を得る過程で何となく気づきました。その後もこれまでを否定せずに、尊重しながらアップデートしていくイメージで経営を進めていくようにしました。

米国視察で触れた不動産の在り方

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岩崎 事業承継の課題はあったかと思いますが、初めての不動産事業はいかがでしたか。

田中 引き継いだ会社はオフィスビルの不動産管理会社でしたので、保有している自社物件を管理することと、空室を埋めていくことと管理することが仕事でした。当時は所有物件の空室率が50%くらいあったのですが、1件1件物件を見て回り、トイレなどの水回りにリフォームをかけたり、エントランスを綺麗にしたり、地場で強い仲介会社と提携したり、専門業者にアドバイスを貰うなど、試行錯誤しながら行動していきました。そんな風に地道に行動を続けていると、何も知らない僕みたいな素人の取り組みで1年間で空室率が10%くらいにまで改善できたんです。その時に自社でやってきたことが、何か人のお役に立てるんじゃないかと感じました。僕が不動産仲介だけをしたら、仲介で関われる範囲で終わりになってしまいます。一方で物件の集客力や物件の価値を高める知見をノウハウ化すれば、多くの人に対して価値を提供できるんではないかと思いました。

そんなことを考えながら不動産の勉強を続けていた中で、たまたま不動産経営管理とアメリカ型の管理を学ぶ機会がありました。日本の不動産管理の大半はBM(ビルメンテナンス)といわれる清掃会社の様な扱いで、どこに頼んでも一緒だから安い管理会社に依頼しようという慣習が強いのですが、アメリカの現地を見させて頂いたときに日本と全く違う視点で不動産管理をしていることを知りました。

アメリカでの不動産経営の成功というのは「良い管理会社に出会うこと」とされており、PM(プロパティマネジメント)という立ち位置で、自分の資産価値、不動産価値を最大化にどれだけ親身になってトライしてくれるかが全てだということを教えて頂きました。それを学ぶ中で、数字の考え方であったり、不動産の価値は空室を埋めるだけではなく、長期的な視点でどれだけの手残りを出せるか、あるいはオーナーさんの資産を考えた税金対策をしていかないといけないなどといった視点に気づかされました。そんなアメリカの不動産管理の知見を生かして、人様の物件の管理をしようと思ったのが、K-FIRSTの立上げのきっかけです。

岩崎 CPM(米国不動産経営管理士)の理論に触れたきっかけ、そこで何を感じたのかお聞かせください。

田中 日本でのCPMホルダーは500、600人ほどなんですが、アメリカでは非常に多くのCPMホルダーがいるんです。CPMには日本会員の組織があり、日本で勉強してたんですけど、そのご縁でアメリカへ視察ツアーに行かせて頂く機会がありました。

物件の管理方法で特徴的なこととして、アメリカではコミュニティという概念があり、入居者を含めてマンションを育てるという文化だったんです。日本での風習で同じことは難しいんですが、それをすることによって不動産の価値が上がるんですよね。その視察でCPMホルダーの方達より「数字だけの部分が大事なんじゃない。オーナー、入居者の見えない部分をどのように満たすかというのがとても大事で、ただ単に数字だけを見て投資という感覚では、不動産っていうのは育たないし、成功もできない」と教えて頂きました。

その後、半年間ほどかけてCPMの資格を取得しました。そしてオーナーさま、入居者の方の視点で徹底的に考えながらやっていきたいと思い、CPMの理論を起点にした不動産管理会社を作りました。売上が上がりましたというのも大事ではあるのですが、オーナーさんの想いや資産などを総合的に見て、どのようなに経営をしていくのがいいのか、場合によっては相続でも良いんじゃないかなど二人三脚で走って行きました。自分の物件でもできたんだから、人様の物件もできるんじゃないかという思いもありましたね。

初めは知人から物件を少しずつ任せて頂いてたんですが、マンションの管理物件が20棟ぐらいになったときに受けきれなくなってしまいました。当時は僕が1人でやっていたんですが、極めて属人性が高く、社員を増やして拡大していくということが難しいなと感じていました。

原体験を形にした「RE:ZONE」事業

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岩崎 田中さんにとってマンション管理事業の難しさはどのような点にあったのですか。

田中 元々自社所有のオフィスビルの管理事業でしたのでB to B取引を中心にやっていたこともあり、B to Cのお客様への付き合い方が分からず、この当時はお客様のクレームを受け止めることしかできませんでした。「自分はいいが、社員にやらせるのか」と考えたときに、自分はこの仕事をやらせたくないなと思い、マンション管理をやめたんですよ。また、国内CPMホルダーの多くはマンション管理会社で働いていることも相まって、マンション管理会社のトッププレーヤーはすごく仕組化されており、1万戸もの物件を高いクオリティで管理している。新参者の自分達がこの市場では勝てないなと思ったんです。

一方で自分が家業を引き継いだ時にオフィスビルの管理を信頼して依頼できる会社がほとんどないという実態がありました。また当時管理を任せて頂いていた半分以上を占めていたのがオフィスビルであったこともあり、当時はベストの選択かは分からなかったのですが、オフィスビル専門管理に戦い処を移しました。自社でしか受けることが出来ないマンション以外の物件はお断りをし、その他のマンション物件は知り合いの信頼できる管理会社に引き継ぎました。そしてオフィスビルの管理事業を始めた当初は銀行の紹介や築古のビルに「成果報酬で構いませんので僕達に管理をやらせてください」と飛び込み営業をしていきました。

それから3~4年ぐらいで、管理物件は70~80棟にもなり、本社のある堺市だけでなく、大阪市内の案件も増えてきました。その時に大阪市内でアクセスが良いながらも空室が目立ち、もったいないなと思う物件が多くありました。駅前1分の立地なのに空室だらけといった物件もあり、実際にオーナーさんにもご相談をいただくこともあった中、僕達でこの課題を何とか解決できないかなと思ったんです。

岩崎 オフィスビルに専門特化したことで、見えてきた課題があったわけですね。

田中 そんなオフィスビルの課題に触れた際に、自分が学生起業している時に正に一番困ったのはオフィスだったなと思い返しました。学生起業当時、僕たちが借りられる予算だと、トイレもとても汚いしボロボロな物件ばかりだったという原体験がありました。それだと人も雇えないし、起業した当時の自分の様な立場の人達のことを考えたときに、5万円以下で綺麗なオフィスを作れないかなと思いました。その時に行き着いたのが、ボロボロのビルでリノベーションをし、狭くても個室で、僕がベンチャー起業家なら入りたいと思えるオフィス作りを行っていくことにしました。

しかし自分にはそれを買うだけの会社の体力もなく、自分にあったのは空室情報だけでした。ただ必ずここに4坪のスモールオフィスを提供したらいけるという自信があったので「僕達もリノベーション費用のお金出すので、空室が埋まったらお金をください」とオーナーにご提案をさせて頂き、その想いに賭けて頂いたことがきっかけで「RE:ZONE 肥後橋」がスタートしました。まだ実績のない僕達を信じてくださったんです。

岩崎 RE:ZONEを初めてスタートした当時、どのようなことが印象に残っていますか。

田中 当時そのビルでは賃料の滞納もありました。以前の管理会社の管理があまり良いものではなく、オーナーの考え方も「とにかくお金をかけない」という方針でした。結果的に入居者の質も悪くなり、良くない方が入ってきてしまうという状況に陥っていました。僕はそのような状況にあることを提言し続け、オーナーも理解してくださり、リノベーションなどに投資もかけて頂く形になりました。その頃はまだレンタルオフィスなどもほとんどなかったこともあり、リノベーション後3ヶ月ぐらいで手掛けた4部屋が埋まったんですよ。

その時の印象的な出来事なんですが、僕達が管理を始めた頃に入居者だった1階の飲食店の方と良い関係ではなかったんです。「君等はオーナーの味方だろう。色々俺たちに是正しろと要求ばかり言ってきて、俺らの立場や気持ちがわかるんか!」などと言われていました。他にも入居者同士も仲が悪かったり、綺麗とは言い難いビルでもありましたのでお客様のご来社も多くないなど課題も多い状況でしたが、僕は必ずビルが良くなると信じてオーナーさんや入居者に要望を言い続けてきました。そして地道にエントランスや共用部を綺麗にする取り組みを続けていくうちに、ご来社や飲食店へのお客様も増えていき、ご来社頂いたお客様が1階の飲食店に行ってくださることも増えた様子でした。

そんな変化も出てきた中で「よくやってくれてるね、ありがとう」と飲食店の経営者の方にも言って頂けるようになり、オーナーさんには今までにないぐらい喜ばれたんです。これまでとは明らかに違う変化があり、「これがビルを蘇らせるってことなんだ」と不動産管理の本質に気づけた様に思えました。そして本気でこのビジネスをちゃんと形にしていこうという腹括りができるきっかけにもなりました。人を集めることや利益を残すことも正しいですけど、蘇ったビルで事業が生まれる、あるいはそこで働く人が変わっていくことが、僕達が目指す不動産再生の一つの答えなんじゃないかなと思いました。

「RE:ZONE」の先に見据える展望

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岩崎 今後はどのような展開を考えられていますか

田中 スモールオフィスの需要というのは今後も増えていくと思っています。ベンチャー企業などのオフィスとしての活用は勿論ですが、今回の新型コロナの問題もあり、自宅に書斎のないビジネスパーソンのワークスペースとしてのお問い合わせなども多く頂くようになりました。そしてRE:ZONEはこれまで入居者のニーズにあったコストパフォーマンスの高いスモールオフィスを構築してきました。オフィスビルのワンフロアに対して個室を増やす、リノベーションをして坪単価はあげるが入居コストは下げる、受付サービス等の必要ないオプションは削るなどですね。

ただ今後は安いオフィスを提供して薄利で商売をしたいわけではなく、RE:ZONEに入居すると会社の業績が伸びるといったブランドをはじめとした入居者の方の成長に繋がるソフト、サービス面を強化していきたいと考えています。オーナーにも入居者の方にも喜んで頂いて僕達も嬉しい、このような三方向よしのモデルは不動産業界には意外にあるようでないんです。勿論、僕達がリスクを負ってやっているところもあるんですが、このビジネスが徐々に多くのお客様に受け入れて頂けるようになってありがたいなと思っています。今後の展望としては現在の15拠点から2025年に100拠点にまで拡大していきたいと考えています。更にその先で見据えていることとしては、僕達が世の中に新しいワークスタイルの形などを提案できる様な存在になれたらと考えています。そのためにも、まずは関西を中心にRE:ZONEを増やし、多くの再生実績をあげていきたいと思っています。

岩崎 具体的にこれからどのような再生案件を手掛けていきたいとお考えですか。

田中 具体的には大手不動産会社がやらないような地方にも進めていきたいと考えていますが、オフィスエリア以外にもRE:ZONEが展開できる余地があると考えています。実際にいま手掛けている案件は住宅街で、美容室、ネイルサロン、教室なんかをターゲットにした再生を進めています。誰も借りていない物件に僕達だからこその企画を入れ、再生していきたいと考えています。

キーワードは「自分達にしかできないことをやる」ということ。僕達は1案件にかなり時間も手間もかけますし、自分達でなくても管理できている物件は受けないようにしています。その軸をぶらさず、今後も自分達だからこその再生案件に特化し、事業を展開していきたいと考えています。

 RE:ZONEの事業は当初5人でスタートしました。一般的に不動産管理の仕事は、なかなかやりがいや楽しさを見出しづらい地味な部分もあります。ただ僕達は攻撃的な“攻め”の不動産再生に拘り、これからも成長を続けていきたいと思っています。そんな部分に共感してくださる方にジョイン頂き、一緒にこの事業を伸ばしていきたいですね。

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