「人」と「組織」が活躍できる“日本型スタートアップエコシステム”を
株式会社ゼロワンブースター 取締役 合田ジョージ 氏

01booster
プロフィール

株式会社ゼロワンブースター
取締役 合田ジョージ

MBA、理工学修士。東芝にてSwedenの家電大手とのアライアンス、中国やタイなどでのオフショア製造による白物家電の商品企画を実施した後、村田製作所に転職。北米向け技術営業、Motorolaの全世界通信デバイス技術営業に従事した後、同社の通信分野のコーポレートマーケティングを手掛ける。その後スマートフォン広告事業を展開するNobot社に参画、同社Marketing Directorとして主に海外展開、イベント、マーケティングを指揮、2011年にはKDDIグループによるバイアウトを実行。M&A後には海外戦略部部長としてKDDIグループ子会社の海外展開計画を策定。2012年より01Boosterにて事業創造アクセラレーターを運用すると共にアジアにおけるグローバルアクセラレーションプラットフォーム構築を目指す。

株式会社01Booster

2012年に共同代表として01Boosterを立上げ、これまで多くの新規事業創造、スタートアップ支援に携わってこられました合田ジョージ氏に、支援家ならではの俯瞰した視点で、これから日本が向き合うべき課題などについて語っていただきました。

目次

大手メーカーで感じた成長の限界

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岩崎 最初に合田さんのこれまでのご経歴をお聞かせください。

合田 大学院を卒業後に東芝に入社し、最初は研究所に、その後は設計部門に異動になるなどエンジニアの領域で経験をしてきました。その後、国内事業が縮小する中、海外市場はまだまだ伸びていた背景もあり、海外事業を担当することになり、スウェーデンの会社と海外連携のアライアンスを組むなどグローバルでの家電事業の拡大推進に携わっていました。その後は、村田製作所で北米向けの技術営業、携帯電話業界で当時グローバル2位のMotorolaでグローバルサポート、全社戦略を立ち上げるなどの経験をしてきました。

全社戦略部門を立ち上げると共に、ビジネススクールに通い、そこの仲間からNobot社に誘われて、創業から関わり、2011年にKDDIグループに売却しました。M&A後は半年程度M&Aの調整を行った後に退任し、2012年に鈴木とゼロワンブースターを立ち上げて現在に至ります。

岩崎 大手企業からスタートアップの世界に身を移された背景には、どのような心境の変化があったのでしょうか。

合田 東芝入社当初は大手企業でずっと仕事をしようと思っていました。バブル崩壊をはじめ外部環境の変化がありつつも長らく働いてきましたが、国内市場の縮小を受けて、海外売上比率の高い村田製作所に身を移すことにしました。勿論、東芝も村田製作所も良い会社ではあると思うのですが、自分のやりたいことに対し、共通して感じていたのは裁量のあるポジションに就き、それを主導的に行うに至るには、かなりの時間が必要になるということでした。最近の若手は2年待てないといいます。私はそこまでいきませんが、流石に10年は待てない、一言で言うとその時点での立場では大手企業の中で学べることがなくなったと感じたんです。

会社員と並行してビジネススクールに通学する中で、入学当時は起業は全く考えていませんでした。ただ起業に関する講義などを通じてスタートアップの世界に触れ、これからの未来を考えた際にスタートアップは実はリスクが低いと感じ、ビジネススクールの仲間に誘われてスタートアップの参画を決めました。

そのリスクについて例を挙げるとすれば、例えば一般的な企業勤めで同じグループの会社に務め続けた場合、40、50代での転職というのはかなり厳しいというのが今の社会の現実かと思います。これは日本の大企業の一つの難点だと思うのですが、その大手企業の中で勤める分には良いものの、一度社外に出ると途端に厳しくなる。これは多様性の許容や外部の人的ネットワークが極めて弱いところに起因していると考えています。

一方でスタートアップの世界では実力が認められれば、スタートアップ界隈での人的ネットワークは極めて強く、広いので、仮に参画しているスタートアップが潰れても、後の行き先にも困らない。また、最初は給料が下がるかもしれないですが、後々上がるかも知れませんし、例えばストックオプションなどを持つ立場にあれば先々に大きなキャピタルゲインを得る機会もあり得ます。これらを俯瞰して見た際にどう見てもスタートアップの世界に飛び込む方が成長でき、リスクが低いと考えるようになりました。

スタートアップという選択肢

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合田 そのようなことを考えていた当時、ビジネススクールで一緒だった小林清剛さんがNobotを起業する、その事業の立上げを手伝ってくれる人をスクール内で募集していました。Nobotはスマートフォン広告の事業で、僕は当時、携帯部品メーカーに在籍していたので多少はスマートフォン業界に対する知見がありました。また、グローバルマーケティングの経験もあったのでNobotが創業当初より掲げていた海外連携にも活かせる部分も感じて、何か力になれるかもと最初はプロボノ(※)で関わったことが実はこのスタートアップの世界に入ったきっかけです。

その当時勤めていた大手部品メーカーでの先のキャリアもある程度見えていたこと、また当時は35歳転職限界説みたいな世間の風潮もあり、既に35歳を超えていましたから、今後何か挑戦をする場合には普通の転職は無理だなということは感じてもいました。そんな中でビジネススクールも卒業となり、次はどんな生き方をすべきかと漠然と考えていた中で、スタートアップに移ることを決断しました。

※各分野の専門家が知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般、あるいは参加する専門家自身

バイアウトまでの道程で見えた起業の選択

岩崎 会社売却に至った経緯、その時のご心境をお聞かせください。

合田 当時の僕は会社を売却するっていうのが理解できなかったんです。「会社を売るなんて行為はご法度だ」という、そんな古い考え方を当時の2009年頃は持っていました。IPO(新規株式公開)を目指すという選択肢がなかったわけではありませんが、IPOと会社売却はやはり別物で、Nobotの場合は会社売却をEXITに経営を進めることが賢明だという当時としてはまだ珍しい方針でした。

短期で会社を売却するという考え方のもとに経営をすることが最初は全然理解できませんでした。ただ会社売却に向けた経営を進めるうちに、そのような考え方もあるんだと理解が進んでいき、最終的に2年半ぐらいで会社を売却に至りました。会社売却の瞬間までは何かすごい事が起こる様な大事に思っていましたが、実際にその瞬間を迎えた際に感じたのは「今まで必死に頑張ってきたことを今日突然辞めることは別に大したことはないものだな」と思ったのが本音でした。

岩崎 「大したことはないものだ」という感情はどのようなものなのでしょうか。

合田 例えば転職にせよ離婚でも何でもいいですが、それまでは悩むじゃないですか。ただ転職した後は、別にそこまで大したことないですよね。会社売却も直前までは色々な葛藤がありましたが、その瞬間を迎えた際には素直に受け入れ、次に進もうという気持ちでいました。

会社売却までは必死で、売却後はベンチャーキャピタルなど色々な選択肢をあらためて自分の中で整理を進めていましたが、自分で起業するということは売却直後は全く考えてはいませんでした。ただそんな中で小林さんに相談をした際に、「創業からEXITまで経験して、もう素人ではないのだから自分で起業しても良いんじゃないですか?」というお話をいただきました。そのお話がきっかけで10個ぐらいビジネスを立ち上げ、残ったものが今のゼロワンブースターになります。こんな経緯でしたので当時は大志などがあったわけではなく、生き残るために必死にやっていたら、誰にも相手にされず、結果的に行くところがなくて起業になってしまった感じですね(笑)。

事業創造支援の中で見えてきたもの

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岩崎 今はどのような意義を持ちながら事業創造支援に携わっておられるのですか。

合田 創業当初に大義名分があったわけではありませんでしたが、ゼロワンブースターとして事業創造支援を進めるうちに、ビジョンや社会で担うべき役割が明確化していきました。今は2つのポイントに意義を持ち、事業を行っています。

一つ目の意義は「人」だと考えています。日本で働く一人ひとりに目を向けると、自分の能力を活かしきれている人がかなり少ない。例えば本来優秀な方が、大企業の企画部門では資料ばかり作って毎日を過ごして終わるということが珍しくありません。勿論、これが活躍していないわけではないですが、本来の能力を十分に活躍する環境ではないと思います。逆にスタートアップは自分の能力をフル活用せざるを得ない世界だと思います。僕は自分の能力を発揮しきれていない人達の環境を変え、自分の心の赴くままに挑戦できる場所を提供することで、皆が幸せになるのではと考えています。

二つ目の意義は「組織」だと考えています。これまでスタートアップ支援の過程の中で、組織が変わっていく様を何度も間近で見てきました。人が変わり、組織が変わることで、今までできないことができるようになり、そしてイノベーションが起きていく。組織の行動や文化を変えるということは、イノベーションを起こす上でとても重要なことだと再認識させられる瞬間はとても多いです。

では人や組織を変える為の支援をしていれば良いのかというとそうではなく、その組織の変化も環境次第では変われるものも変わらないのです。日本は自由の守られている国ですし、そのような変化を後押しできる環境さえ形にできれば、様々なイノベーションが起こり得るのではないかと考えています。つまりはスタートアップエコシステムを構築し、その中の組織、その中の人、この三者を変革していくことが自分達の果たすべきことではないかと今は考えています。

戦後築かれたシステムは制度疲労に

岩崎 日本全体を俯瞰して見た際に課題に感じていることをお聞かせください。

合田 今の日本の課題は制度疲労に陥っていることにあると考えています。勿論、行政や大企業が取り組まれている仕組みや制度には素晴らしいものもあります。ただ明治時代にできた政治や経済などのシステムが土台にあり、戦後にある程度変わったとはいえ、明治時代当時の古いシステムがかなり残る状態にある中、今の時代の会社や事業の在り方と照らし合わせた場合に、大きく乖離してしまっているように感じています。

これらシステムのサイクルは80年で1サイクルとも言われているのですが、間もなく戦後から80年を迎えるタイミングにあります。戦後に強化されたこれらのシステム、社会制度はプロダクトライフサイクルでいうと正に後期衰退期にあり、次の新しい波を作りにいかなければならない、トランスフォーメーションの局面にあると考えています。

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